子役としてデビューし、朝ドラ「ハイカラさん」でヒロインを務めた女優の手塚理美さん。
「ふぞろいの林檎たち」でも人気を集めました。
この記事では手塚理美さんの学歴、経歴、生い立ちや、デビューのきっかけ、結婚や夫、子供などについて紹介しています。
Contents
手塚理美の経歴・プロフィール
手塚理美の小学校 代役で子役デビュー
手塚理美さんの出身小学校は 大田区立梅田小学校
東京都大田区出身。弟が2人いる3人きょうだいの長女。父親は商社勤務の会社員でした。
幼少期からしっかりした子供で、幼稚園では先生に褒められていたといいます。
小学校は東京都大田区南馬込6丁目にある梅田小学校。
弟がモデルをしており、手塚さんが8歳の時に七五三の広告撮影をするはずだった7歳の女の子が風邪で倒れてしまい、急遽代役を務めることになりジュニアモデルとしてデビュー。
笑顔が得意で「営業スマイルのさとみちゃん」と呼ばれ、その後も広告やCMに出演しました。
手塚理美の中学校 ユニチカのマスコットガールに選出
手塚理美さんの出身中学校は 大田区立大森第四中学校
東京都大田区池上1丁目にある公立中学校。
小学生の時に出演した不二家のチョコレートのCMがユニチカのスタッフの目に留まり、1975年、中学1年生の時にユニチカの2代目マスコットガールに選出。
本格的に芸能界デビューしました。
翌年の1976年10月には『パジャマSong』で歌手デビューもしています。
手塚理美の高校 志望校に合格するも入学を断念
手塚理美さんの出身高校は 赤坂高校 (偏差値45)
東京都港区南青山2丁目にあった男女共学の東京都立高校。
2009年に市ヶ谷商業高校を統合され、東京都立大田桜台高校が開校し、同高校は閉校になりました。
高校受験では希望の高校に合格しましたが、芸能活動が禁止でした。
行きたい高校だったので、芸能界をを辞めようと思いましたが周りに「ユニチカのマスコットガールとして契約しているんだから、そんなことはできません!」と叱られ入学を断念。
あわてて別の高校に二次募集の試験を受け、入学したのが同高校だったといいます。
高校時代も午前中だけ授業だけ出て、午後は仕事に行くなど忙しく単位もギリギリだったといいます。
当時は行きたい高校にも行けず、髪の毛も自由に切ることも出来なく、友達を遊んだ記憶もあまりなく窮屈に感じていたといい、高校の時に女優の話をもらった時には「絶対にやりたくない!」と断っていました。
手塚理美の学歴
朝ドラ「ハイカラさん」でブレイク
高校卒業後も芸能活動を続ける中で事務所に「絶対に勉強になるから」と勧められ、1981年7月、20歳の時に『娘が家出した夏 家庭ってなァに?』(TBS)で女優デビュー。
『思わず涙が出てしまって…。お芝居は他人になるんじゃなく、自分の中の眠っていたものを呼び覚ましてくれる場所なんだって…』
1度だけのつもりで出演しましたが、女優の仕事に興味を持ち、朝ドラ『ハイカラさん』でヒロインオーディションを受けると合格。
5次審査まであり、人が少なくなっていく中で受け続ける緊張感から胃が痛くなったといいます。
『ハイカラさん』は1982年4月から放送され、平均視聴率は36.2%、最高視聴率は44.9%を獲得しました。
1983年5月からは『ふぞろいの林檎たち』(TBS)に」出演。人気ドラマとなり、パート4まで放送されました
結婚や夫、子供
手塚理美さんは1990年8月、29歳の時に1歳年下で俳優の真田広之さんと結婚。
馴れ初めは時任三郎さんの紹介だったといます。
子供は息子が2人で、1991年8月に長男の奨之(しょうの)さん、1995年6月に次男の日南人(ひなと)さんが誕生しました。
次男の日南人さんは俳優として活動しています。
『私の辞書には離婚という字はなかったので、修復しか考えてなかった。なんとかして戻って来てほしいなって』
しかし、真田さんと女優の葉月里緒奈さんの不倫が報道され、結婚7年目の1997年7月に離婚しました。
離婚後、手塚さんも真田さんも再婚はしていません。
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