アイドルとしてデビューし、天然キャラバラエティ番組でも活躍した三田寛子さん。
この記事では三田寛子さんの学歴、経歴、生い立ちや、デビューのきっかけ、結婚や夫との馴れ初め、子供になどついて紹介しています。
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三田寛子の経歴・プロフィール
三田寛子の小学校
三田寛子さんの出身小学校は 京都市立七条第三小学校
京都府京都市下京区出身。出生名は稲垣 敦子(いながき あつこ)。弟が1人いる2人きょうだいの長女。
実家は祖父母が明治3年に創業した、紋付きに使う生地を黒く染める「黒染め屋」を経営していましたが、戦後の着物文化の衰退で家業は傾き廃業。
父親はタクシー運転手に転職し、母親は内職をして家計を助けていました。
父親はしつけに厳しく、「人前では絶対に泣いてはいけない」が口癖で、口答えすればは平手で容赦なく顔をたたかれて鼻血をだしたこともあったといいます。
幼少期は仮面ライダーが大好きで男の子とばかり遊び、ショートカットの色黒で、よく男の子に間違がわれていました。
小学校は京都府京都市下京区西七条西石ヶ坪町にある七条第三小学校に入学。
小学校1年生から日本舞踊を習っていました。
小学生時代は成績は優秀でしたが、消極的で授業中に手を挙げることはできなかったといいます。
三田寛子の中学校 モデルに応募し芸能界入り
三田寛子さんの出身中学校は 京都市立七条中学校
京都府京都市下京区西七条御領町にある公立中学校。
中学時代も成績優秀で、英語が得意でした。
中学生の時には宝塚に憧れ、2年生の時に母親に「宝塚に入りたい」と伝えると募集要項を見た母親に、「容姿端麗って書いてあるでしょ? あんたには無理や」と言われ、三田さんも「そうだ私、容姿端麗じゃないから無理だ!」と諦めたそうです。
その後、ドラマの影響で「スチュワーデスになりたい!」と思いましたが、募集要項に身長と「容姿端麗」と書いてあったため、やはり諦め、英語が好きだったので高校卒業後は京都外国語大学を目指そうと思ったといいます。
しかし、1980年、中学3年生の時に遊び半分で雑誌『セブンティーン』のモデルに応募すると合格。
合格後、母親と東京に行き撮影に参加し、三田さんが掲載された雑誌が発売されると、芸能事務所のスターダストにスカウトされて芸能界入り。
事務所に所属して間もなくの1980年10月にソニーのカセットデッキのCMオーディションに合格。
中学校卒業後は上京しました。
三田寛子の高校
三田寛子さんの出身高校は 代々木高校 (偏差値42)
かつて東京都渋谷区上原2丁目にあった男女共学の東京都立高校。
2000年に烏山工業高校と統合され、世田谷泉高校となり閉校になりました。
自由は校風だったことから多くの芸能人が通っていて、俳優の木村拓哉さん、松山ケンイチさんなども出身者です。
高校1年生の時にTBSのドラマ『2年B組仙八先生』で女優デビュー。
翌年の1982年3月21日に『駈けてきた処女』で歌手デビューしました。
同期デビューは小泉今日子さん、松本伊代さん、堀ちえみさん、中森明菜さん、シブがき隊などで「花の82年組」と呼ばれました。
仕事が忙しくなって単位不足になっため、高校は明治大学付属中野高校の定時制に転校して卒業しました。
三田寛子の学歴
バラエティでブレイク
1984年4月から『笑っていいとも!』(フジテレビ)の月曜レギュラーとして出演。
番組でタモリさんと一緒お菓子を作る「寛子のおかし大好き」というコーナーに出演すると、天然ボケを連発しブレイク。
以降はバラエティ番組で活躍し、1985年4月からはNHKの若者向けトーク番組『YOU』で司会を担当。
サスペンスドラマなど女優としても多くのドラマに出演しました。
結婚や夫との馴れ初め、子供
三田寛子さんは1991年、25歳の時に、歌舞伎俳優の三代目 中村橋之助さん(現在は八代目 中村芝翫)と結婚。
1988年公開の映画『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』に出演した際に、共演者の尾美としのりさんの陣中見舞いに行くと、そこにたまたま中村さんがいて出会ったそうです。
以前から三田さんの大ファンだった中村さんは雑誌の対談で三田さんを指名したり、ゴルフコンペに出場する三田さんのレッスンをするなど猛アプローチを続け、交際に発展。
交際期間約2年で結婚しました。
子供は息子が3人で、1995年12月に長男、1997年11月に次男、2001年9月に三男が誕生。
不妊治療を経ての出産だったことを明かしています。
息子は3人とも歌舞伎俳優をしています。
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