「あの鐘を鳴らすのはあなた」などのヒット曲で知られる歌手の和田アキ子さん。
高校は父親に強制的に退学させられました。
この記事では和田アキ子さんの学歴、経歴、生い立ちやデビューのきっかっけについて紹介しています。
Contents
和田アキ子の経歴・プロフィール
和田アキ子の小学校 父親の暴力に反発
和田アキ子さんの出身小学校は 大阪市立真田山小学校
1950年4月10日生まれ、大阪府大阪市天王寺区出身。弟が3人いる長女。
父親は料亭を経営。柔道の師範でもあり柔道道場「金海道場」も開き、母親は市場で乾物屋を経営していました。
小学校は大阪市天王寺区玉造本町にある真田山小学校を卒業。
父親は体重100kを超えていたといい、和田さんも子供の頃から体が大きく、6歳の時から父親に柔道と空手を厳しく教え込まれ、柔道は中学1年生の時に初段を取得しています。
父親はしつけに厳しく、全てのことは男性優先で男尊女卑でもあり、父親の前では正座、敬語を使わなければなず、「女は飯と掃除だけはできなあかん」と言われ、毎日100畳の柔道場を掃除することが日課とされていました。
暴力を加えられることもあり、時にはベルトのバックルで殴られ、バックルの止め具が唇を貫通。貫通したまま泣きながら病院に行ったこともあったといいます。
和田さんはそんな父親が嫌いで、ことごとく反発していたそうです。
子供の頃の夢は、子供が好きだったので保母(保育士)さんでした。
和田アキ子の中学校 ステージデビュー
和田アキ子さんの出身中学校は 城星学園中学校 (偏差値46)
大阪府大阪市中央区玉造2丁目にあった私立のカトリック系女子校。
2022年に改称され現在の名称はヴェリタス城星学園中学校になった後、生徒募集を停止しました。
厳しい父親への反発から中学1年生から家出を繰り返すようになり、街では日々ケンカに明け暮れ、中学2年生の時には「ミナミのアコ」との異名を取り恐れられ、20名ほどの軍団も率いていたといいます。
ケンカの相手はもっぱら男だったそうです。
一方で小学生の時に聞いた洋楽に憧れ、中学生になるとレコードを買い、ジャズ喫茶やダンスホールにも通っていました。
そこで歌っていた人があんまり歌がうまくなく、そんな話しをしていると、
『それなら歌ってみな、キーは?』
と言われ、「キー」の意味も知りませんでした、歌ってみると気に入られ、15歳からステージでレギュラーで歌うようになりました。
和田アキ子の高校 スカウトされて上京
和田アキ子さんの出身高校は 城星学園高校 (偏差値46~53)
高校は中学の系列で併設されてた城星学園高校に進学。
2022年に改称され現在は、ヴェリタス城星学園高校になってます。
出身者には元宝塚歌劇団月組トップスターの龍真咲さん、タレントの渋谷凪咲さんなどがいます。
エスカレータ式で入学しましたが父親に、
『お前のような不良がいると学校の迷惑になる』
と勝手に退学届けを提出されて中退。
高校には3日しか通えなかったといいます。
その後はジャス喫茶などで歌っていた和田さんのパワフルな歌声が評判を呼び、当時のホリプロ社長だった堀威夫さんにスカウト。
17歳で上京しました。
和田アキ子の学歴
デビュー2曲目がヒット
1968年10月25日、18歳の時に『星空の孤独』で歌手デビュー。
キャッチコピーは「和製リズム・アンド・ブルースの女王」でした。
デビュー曲は売れませんでしたが、翌年の1969年4月25日に発売して2枚目の『どしゃぶりの雨の中で』が17万枚を売り上げるヒットを記録。
人気歌手の仲間入りをし、1970年、20歳の時には映画『女番長・野良猫ロック』で映画初主演。
同年に4枚目のシングル『笑って許して』で「第21回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たしました。
1972年には11枚目のシングル『あの鐘を鳴らすのはあなた』で、
第14回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞
を受賞。
1973年に日本テレビのバラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』し、出演者のとドタバタコメディを繰り広げて番組内で「ゴッド姉ちゃん」と呼ばれ、番組は視聴率30%を超える人気番組となり、これがきっかけで和田さんは、「デカい・コワい・強い」のイメージが広がったといいます。
歌手をしながら様々なバラエティ番組にレギュラー出演した後、冠番組などで司会者としても活躍。
1985年10月から生放送のバラエティ番組『アッコにおまかせ!』(TBS)が放送を開始されました。
結婚歴・夫・子供
和田アキ子さんの結婚歴は2度です。
1976年10月、26歳の時に元マネージャーの小林甫さんと5年の同棲生活を経て結婚しましたが、8ヵ月後の1977年6月に離婚。
再婚したのは1981年、31歳の時でした。
夫は3歳年上でカメラマンの飯塚浩司さん。
馴れ初めはテレビドラマで、1980年にフジテレビの『ひまわり戦争』に出演した時に、飯塚さんがカメラマンを務めていたことで出会いました。
飯塚さんがカメラマンとして、和田さんがきれいに映る角度を研究していると、和田さんは「こいつ、私に惚れてるな」と勘違いし、和田さんから声をかけて交際をスタートさせました。
和田さんに子供はいません。
子供は望んでいましたが、結婚の2ヵ月後に子宮がんが発覚。
医師に「手術を受ければ助かるが、子供が産めない身体になる」と告げられ、和田さんは「もう死にたい」と死ぬほど泣いたといいます。
そんな和田さんに飯塚さんは、
『オレは子供のために結婚した訳じゃない。オレはアコが好きなんだ』
と言い、手術を受けるように背中を押し、和田さんは子宮全摘出手術を受けました。
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