「小指の思い出」や「恋のしずく」などのヒット曲を持つ歌手の伊東ゆかりさん。
中尾ミエさん、園まりさんとの共に「スパーク3人娘」とも呼ばれました。
この記事では伊東ゆかりさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介します。
伊東ゆかりの学歴
伊東ゆかりの小学校
伊東ゆかりさんの出身小学校は 杉並区立高井戸第二小学校
東京都品川区出身、本名は伊東 信子(いとう のぶこ)。
父親は沖縄県出身のジャズバンドのベーシスト、母親は伊東ゆかりさんが5歳の時に家を出て、その後、両親は離婚。
6歳の頃に父親のバンドをバックに、東京の聖路加国際病院で初めて歌い、進駐軍を訪問して歌うようにもなりました。
進駐軍訪問には子供や妻を国に残してきた兵士たちを慰労するために「子供枠」というもがあり、子供が歌うととを潤ませる兵士もたくさんいたそうです。
伊東ゆかりさんはアメリカ兵がくれるチョコレートやコーラが楽しみだったといいます。
小学3年生の時に父親は再婚、継母は献身的な人で、幼少期に母親がいなかったことから、それまではスプーンしかご飯を食べられませんでしたが、箸の持ち方を一からしつけてくれ、小学4~5年生になると、歌の仕事で早引きすることが多くなり、その時は継母が授業に出てノートをとってくれて、家で授業を教えてくれたそうです。
父親はその後も離婚を繰り返し、4度の離婚をしています。
1986年11月、11歳の時に「かたみの十字架/クワイ河マーチ(映画『戦場にかける橋』テーマソング」)で本格的に歌手デビューしました。
伊東ゆかりの中学校
伊東ゆかりさんの出身中学校は 立正中学校(偏差値)
立正中学校は、東京都大田区西馬込にある私立中学校。
中学時代には同じ渡辺プロダクションの中尾ミエさん、園まりさんと組んだ「3人娘」で音楽バラエティ番組「スパークショー」に出演、「スパーク3人娘」と呼ばれました。
番組でツイストを踊ると中学校の先生に毎日のように職員室に呼び出され、
『尻を振って踊るツイストなどけしからん』
と怒られたといい、番組で目立たないように端っこのほうに移動すると、番組のスタッフに注意されたそうです。
その後も、「シャボン玉ホリデー」や「歌え!一億」に出演し全国的な知名度を獲得しました。
伊東ゆかりの高校
伊東ゆかりさんの出身高校は 関東学園女子高校(偏差値52~55)
関東学園女子高校は、現在の関東国際高校で東京都渋谷区本町にある男女共学の私立高校。
出身者には俳優の堀内敬子さん、シンガーソングライターの熊木杏里さんなどがいます。
1963年、16歳の時に第14回NHK紅白歌合戦に初出場。
紅白歌合戦には1992年までで11回出場しています。
伊東ゆかりの経歴
1967年2月、19歳の時にリリースした36枚目のシングル「小指の想い出」が累計売り上げ150万を超える大ヒットを記録し、第9回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞。
翌年1968年1月の「恋のしずく」も大ヒットしました。
1969年5月公開の映画「愛するあした」で主演、同年末には年第20回NHK紅白歌合戦の紅組司会を務めました。
1970年に渡辺プロダクションを独立。
大手プロダクションの後ろ盾をなくし、一時低迷しましたが、977年から1981年までメイン司会を務めたTBSの音楽番組「サウンド・イン”S”」が転機とり再評価されました。
1971年7月に歌手で俳優の佐川満男さんと結婚し、1973年4月の娘の宙美(ひろみ)さんが誕生いましたが、結婚5年目の1976年に離婚。
元夫の佐川満男さんは1988年に再婚しましたが、伊東ゆかりさんは再婚はしていません。
離婚後も関係は良好で、2001年10月にデュエットシングル「かんにんしてや」をリリースし、2017年8月には元夫と娘の3人で「徹子の部屋」に出演しました。
シングルは1997年までで85枚リリース、近年はライブを中心に活動しています 。
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