東京都出身の俳優で「リポビタンD」のCMにも出演していた宍戸開さん。
高校、大学時代はスキーで全国大会に出場しています。
この記事ではさん宍戸開の学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
宍戸開の学歴
宍戸開の小学校時代
宍戸開さんの出身小学校は 不明
1966年9月4日生まれ、東京都世田谷区出身。姉と弟がいる3人きょうだいの長男。
父親は「エースの錠」の愛称で親しました俳優の宍戸錠さん、母親の游子さんも元女優で結婚後はエッセイストとして活動していました。
母親は2010年にがんのため77歳で他界。父親は2020年1月に虚血性心疾患のため86歳で亡くなっています。
姉はエッセイスト、タレントの紫しえさん。
名前の「開」は父親が「錠」だったことからそれを開くという意味で命名。
弟の名前は「表(ひょう)」で、親子の名前をつなげると「錠を開いて表へ出る」となるという意味になるといいます。
出身小学校は不明。
5歳の時にスキーを始め、小学5年生の時にはスキー1級を取得。
フルートも習っていました。
10歳の時には親離れの儀式として母親と一緒に、中国とモンゴルを旅行。1ヶ月半かけて各地を巡りました。
宍戸開の中学校・高校時代
宍戸開さんの出身中学校・高校は 桐朋中学校・桐朋高校
東京都国立市中三丁目にある私立の男子校。
中学校の偏差値は65、高校の偏差値は71。
出身者には作家の赤川次郎さん、俳優の西島秀俊さんなどがいます。
中学、高校時代はスキー部の所属し、高校の時には回転競技でインターハイに東京代表として出場しました。
宍戸開の大学時代
宍戸開さんの出身大学は 玉川大学 文学部芸術学科 (偏差値45)
東京都町田市玉川学園6丁目に本部がある私立大学。
演劇を専攻していました。
大学時代もスキー部に所属し、1987年にはスキー回転競技インターカレッジに玉川大学代表として出場。
大学在学中にはオーストラリアのパース大学とアメリカ合衆国のサンフランシスコ大学に夏期留学を経験しました。
大学は中退しています。
宍戸開の経歴
1998年、21歳の時に大河ドラマ『武田信玄』の塩津与兵衛(しおづ よへえ)役で俳優デビュー。
翌年の1989年5月公開の『マイフェニックス』で映画デビューし、
第13回日本アカデミー賞・新人俳優賞
を受賞しました。
1992年公開の『8マン・すべての寂しい夜のために』で映画初主演。
1998年1月から1999年12月までは、フジテレビ『くいしん坊!万才』の10代目リポーターを務め、旅番組にも出演。
以降もドラマ、映画、バラエティ番組と幅広く活躍。
五影 開(いつかげ かい)の名義で写真家としても活動しており、写真展なども開催しています。
結婚歴や妻、子供
宍戸開さんの結婚歴は1度です。
2010年12月、44歳の時に同学年の一般女性と結婚。
妻には離婚歴があり再婚。
子供は妻の連れ子の息子が1人で、結婚時には小学校高学年でした。
結婚は発表されず、息子の小学校の運動会で応援している姿が目撃され、メディアに事務所に取材したことで、結婚の翌年の2011年に結婚していたことが報じられました。
結婚の報告を父親の宍戸錠さんにせず、錠さんは報道で結婚を知ったことで、挨拶など礼儀には厳しいい錠さんは勘当せんばかりに怒り、親子関係に深い溝ができてしまいました。
2013年2月に火事で錠の自宅が全焼した際にメディアに「開さんと不仲と言われてますが?」と質問されると「そうそう(笑い)」と答え、錠さんがなくなるまで、和解することはなかったといいます。
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