京都府出身で人気アイドルとして活躍した太川陽介さん。
代表曲の「Lui-Lui」は最初は嫌だったそうです。
この記事では太川陽介さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
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太川陽介の学歴
太川陽介の小学校時代
太川陽介さんの出身小学校は 不明
1959年1月13日生まれ、京都府中郡大宮町(現:京丹後市)出身。本名は坪倉 育生。(つぼくら いくお)。兄が2人いる3人兄弟の末っ子。
実家は丹後ちりめんの卸販売をしている呉服屋「つぼりゅう」。
子供の頃は実家の周りは田んぼだらけで、稲刈りが終わると遊び場で、積まれているわらの上で飛んだりして遊び、小学5年生の時にはバク転ができるようになっていて、バク転はデビュー後のドラマで役にたったといいます。
小学生の頃から目立ちたがり屋で、休み時間にはクラスメイトの前で歌を歌っていたそうです。
太川陽介の中学校時代
太川陽介さんの出身中学校は 大宮町立大宮中学校
京都府京丹後市大宮町口大野にある公立中学校で現在の京丹後市立大宮中学校です。
中学時代は野球部に所属していました。
学生時代にはフォーク音楽をやっていたといいます。
太川陽介の高校時代 スカウトされてデビュー
太川陽介さんの出身高校は 峰山高校 (偏差値44~49)
京都府京丹後市峰山町古殿にある男女共学の京都府立高校。設置学科は普通科、機械創造科。
出身者には元プロ野球選手の野村克也さん、プロレスラーの中邑真輔さんなどがいます。
高校時代、桜田淳子さんのファンで、桜田さんが主演する映画『スプーン一杯の幸せ』の相手役のオーディションがあること雑誌「明星」で見つけ、オーディションを受ければ桜田さんに会えると思い応募しましたが、応募した時には締め切りをすでに過ぎていていため選外でした。
しかし、太川さんの応募した書類がサンミュージック創業者の相澤元会長の目に留まり、スカウトされ芸能界入り。
1976年、高校2年生の時に上京し、高校は日本学園高等学校に転校しました。
東京都世田谷区松原二丁目にある私立の男子校で、現在の偏差値は47~55。
出身者には声優の大塚周夫さん、俳優の斉藤工さんなどがいます。
上京して4ヵ月後の1976年12月20日に『陽だまりの中で』でデビュー。デビュー時のキャッチコピーは「昇れ!太陽くん」でした。
太川陽介の経歴 「Lui-Lui」がヒット
デビュー曲の『陽だまりの中で』、2枚目の『南風』も売れず、曲調を変えた3枚目のシングル『Lui-Lui』がヒット。
明るい曲調で軽やかなステップを踏み、歌詞の「ルイ・ルイ!」に合わせて「おいでおいで」のようなポーズをするのが特徴の曲で、太川さん最大のヒット曲になりました。
オリコチャートは週間最高38位、6.3万枚の売り上げですが、ポーズなどのインパクトが強く、ルイルイポーズは太川さんのトレードマークになっています。
太川さんは元々フォーク音楽をやっていたことからデビュー曲はフォーク調、2曲目も比較的大おとなしめの曲でした。『Lui-Lui』はいきなり振付が入ったため、最初は恥かしくて「嫌だった」」といいます。
同曲で第19回日本レコード大賞をはじめ、各音楽大賞の新人賞を総なめにしました。
1979年からは人気番組だったNHKの音楽番組『レッツゴーヤング』の司会を務めるなど、人気アイドルとして活躍しました。
1980年代後半からは、アイドルから俳優、タレント業に転向し、舞台俳優としても活動
2007年10月からは蛭子能収さんとともに『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』に出演。
計画性のある太川さんとその正反対の蛭子さんとのやりとりが好評で人気番組となり、2017年1月まで放送されました。
太川陽介の結婚や妻、子供
太川陽介さんは1995年1月、36歳の時にに2歳年下の女優・藤吉久美子さんと結婚。
太川さんは初婚でしたが、藤吉さんは1988年に歌舞伎役者の四代目河原崎権十郎さんと結婚し、1992年に離婚していて再婚でした。
馴れ初めは1994年のNHKのドラマ『大阪で生まれた女やさかい』でした。
ドラマで共演シーンは1度しかありませんでしたが、撮影終了後、新大阪の向かうタクシーで相乗りすることになり、そのまま東京までの新幹線に一緒に乗り、帰りに太川さんが食事に誘って一緒に食事をしたことがきっかけで交際に発展しました。
『今のカミさんとは、東京にある京都のお惣菜料理の店に行ったんですが、もう本当においしそうに、そしてきれいに食べてくれて、それはそれは楽しい時間を過ごせたんですね。』
それまではお互いに名前を知るくらいで、面識はなかったといいます。
子供は息子が1人で、2001年7月2日に誕生しました。
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