大学在学中に芸能界デビューし、ドラマ「3年B組金八先生」の美術教師役で注目され、「片平なぎさに次ぐ2時間ドラマの女王」の異名を持ち、多くのドラマで主演を務める名取裕子さん。
特に松本清張作品にはドラマ、映画合わせて17本出演し、「清張女優」と呼ばれ、松本清張さん本人とも交流があったといいます。
そんな名取裕子さんの学歴、経歴、生い立ちや学生時代のエピソードについて紹介します。
名取裕子の学歴
名取裕子の小学校
名取裕子さんの出身小学校は 座間市立栗原小学校
神奈川県横須賀市生まれ、自宅は海が一望できる山の上にあり、3世代同居の13人の大家族で育ちました。
父親は電車の車両製造会社に勤務、母親はまめで料理上手な人だったといいます。
小学校は横須賀市の小学校に入学し、2年生の時に座真市に引っ越し、座間市立栗原小学校に転校して卒業しました。
子供の頃はおてんばで髪型は2歳年上の兄を真似た刈り上げ、近所では男の子だと思われていたといい、遊び場は山や川でした。
兄のやることを何でも真似て、負けず嫌いで九九など、何でも兄より先に覚えたいと思っていたそうです。
名取裕子の中学校
名取裕子さんの出身中学校は 座間市立東中学校
中学校は座間市の公立中学校、東中学校に入学。
中学時代はテニス部に所属。
14歳の時に母親はがんでで他界、47歳だったといいます。
それから1年後に父やは再婚するまでは、父親と兄の食事と弁当は名取裕子さんが作り、掃除などは父親がしていました。
継母は48歳でしたが、料理などの家事ができない人だったそうで、そんな継母を父親がかばうことで、関係が険悪になったこともあったといいます。
名取裕子の高校
名取裕子さんの出身高校は 厚木高校(偏差値70)
神奈川県厚木市戸室二丁目にある男女共学の県立高校。 出身者には俳優の六角精児さん、気象予報士の木原実さんなどがいます。
六角精児さんは同級生の弟でした。
高校入学の前夜に厚木高校の制服を注文していないことに気付き、仕方なく中学時代のセーラー服で学校に行ったそうです。
でも、もうひとり古びたテカテカの制服を着ていた女子がいて、話しをするど彼女も制服の注文を忘れ、近所の人に借りてきたそうで、すぐに親友になり卒業後も仲良くしているそうです。
高校時代も中学に続きテニス部に所属、高校生の頃の夢はキャビンアテンダントでした。
六角精児さんによれば、校内には男子生徒による名取裕子さんのファンクラブが存在したといいます。
名取裕子の大学
名取裕子さんの出身大学は 青山学院大学文学部日本文学学科(偏差値62)
東京都渋谷区渋谷に本部がある私立大学、青山学院に進学しました。
大学では広告研究会に所属し、大学時代にはキャビンアテンダントかコピーライターになりたいと思ってました。
大学1年生の夏にサークルで出会った広告会社の人に、サークルが協力していた三浦友和さんの相手役を募集する「カネボウ・サラダガールコンテスト」の出場を頼まれ、人数合わせで応募すると準優勝。
これがきっかけで芸能界入り、ちなみに優勝者はは古手川祐子さんでした。
名取裕子の経歴
大学在学中の1976年10月、19歳の時、ドラマ「愛と憎しみの宴」(毎日放送)に出演。
翌年の1977年4月から放送の昼ドラマ「おゆき」(TBS)に主演し本格的に女優デビューしました。
1979年から放送された「3年B組金八先生」(TBS)でマドンナ的存在の美術科担当教師・田沢悦子 役を演じ人気を獲得。
1982年に主演を務めたに二時間ドラマ「松本清張の指」は「火曜サスペンス劇場」枠での歴代最高視聴率28.0%を記録。
1987年6月公開の主演映画「吉原炎上」では迫真の濡れ場を熱演して話題となりました。
1995年4月公開の「マークスの山」では第19回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞を受賞しました。
独身を貫いていますが、結婚願望がないわけではなく、2023年10月のインタビューでは
「結婚願望は今でもありますよ(笑)」
と話し、七夕の短冊に「お嫁に行きたい」と願い事を書いたら、友達に「いい加減にしろよ」と笑われたと話しています。
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