「狙いうち」「どうにもとまらない」や「困っちゃうナ」などのヒット曲で知られる山本リンダさん。
この記事では山本リンダさんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
山本リンダの学歴
山本リンダの小学校
山本リンダさんの出身小学校は 横浜市立神橋小学校
1951年3月4日、福岡県小倉市(現・北九州市)生まれ。本名は稲葉 あつ子(いなば あつこ)。
父親はアメリカ軍人、母親はダンスホールでダンサーとして働いていた女性で、アメリカ人と日本人のハーフとして誕生。兄弟はなく一人っ子です。
父親は1歳の時に朝鮮戦争で戦死したため、父親の記憶は全くなく、5歳の時に神奈川横浜市に移り女でひとつで育てられ、貧しい生活でした。
「リンダ」の芸名は生前父親の付けられた愛称だったといいます。
物心ついた時から歌が大好きで、朝から晩まで歌っているような子供で、将来の夢は歌手でした。
幼少期からハーフだったことから、近所の子供たちに「合いの子」と言われていじめられていましたが母親の、
『みにくいアヒルの子は、最後は白鳥になるの。あつ子は白鳥なのよ。だから、自信を持って育ってほしいの』
の言葉に勇気をもらい、守ってくれる友達もいったため寂しくはなかったそうです。
山本リンダの中学校
山本リンダさんの出身中学校は 横浜市立六角橋中学校
将来の夢は歌手でしたが、近所の人に、
『あっこちゃんは、大きくなったらモデルさんになるといいわね』
と言われたことでモデルのというものを知り、小学3年生の頃にファッション雑誌できれいな服を着てポーズを決めているモデルを見て、「モデルになりたい」とも思うようになり、6年生の時に少女モデルの募集広告を見て応募すると合格。中学1年生の春から、1年の契約でモデル活動を開始しました。
売れっ子モデルとなり、当時としては珍しかった海外での撮影も多くこなしていたといいます。
契約が終了した中学2年生からも「仕事を続けたい」と自ら出版社に電話をして売り込むと、数社の出版社から仕事をもらうことに成功し、カメラマンの紹介で中学3年生からモデル事務所に所属しました。
山本リンダの高校
山本リンダさんの出身高校は 横浜港高校
神奈川県横浜市中区山下町にあった男女共学の横浜市立高校。
2002年に横浜商業高校、横浜市立横浜工業高校と統合され、現在は横浜市立みなと総合高校になっています。現在の偏差値は55。
モデル事務所に所属後、NHKの歌番組『夢のセレナーデ』のカバーガールに抜擢され、忙しくなり高校にあまり通えなくなったといいます。
歌手の夢も叶えるために、歌のオーディションも受けましたが2次で落選。
しかし、主催者から「レッスン」を受けることを勧められ、1966年9月、高校1年生の15歳の時に『こまっちゃうナ』で歌手でデビュー。
100万枚を超える大ヒットを記録。一躍スターになり翌年の『第18回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしました。
山本リンダの経歴 仮面ライダーでブレイク
1966年のデビュー曲『こまっちゃうナ』の大ヒット後は、ヒット曲には恵まれず人気は低迷。
1971年7月から『仮面ライダー』に出演すると半年の出演でしたが、『仮面ライダー』が大ヒットし高視聴率を獲得したことから山本さんも強烈な印象を残し、1972年6月に発売した20枚目のシングル『どうにもとまらない』が大ヒット。
ヘソ出し衣装の元祖となり、同年末には5年ぶりに第23回紅白歌合戦に出場しました。
紅白歌合戦には1991年までで、合計5回出場しています、
翌年の1973年2月に発売した『狙いうち』も大ヒットとなり、同年の、
第10回ゴールデン・アロー賞・グラフ賞
を受賞しました。
1991年にはテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の主人公・まる子がマネしたことなどがきっかけでリバイバルブームが沸き起こり、再ブレイクを果たし、同年に17ぶりに紅白歌合戦に出場しました。 シングルは2022年1月までで53枚リリースしたいます。
山本リンダの結婚歴や夫、子供
山本リンダさんが結婚したのは2001年5月、50歳の時でした。
夫は7才年上で、静岡県にある「常葉大学」の教授の稲葉光彦さん。専門は法学。
2人の馴れ初めは「共通の知人の紹介」で、食事をするようになると、お互いに横浜市出身で共通点が多かったことから交際がスタートしたそうです。
山本さんに子供はいません。
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