元フジテレビエグゼクティブアナウンサーの笠井信輔さん。
2019年にはステージ4のがんであること公表し、その後、2020年に完全寛解したことを発表しました。
この記事では笠井信輔さんの学歴、経歴、生い立ちについて紹介しています。
笠井信輔の学歴
笠井信輔の小学校
笠井信輔さんの出身小学校は 町田市立本町田東小学校
1963年4月12日、東京都世田谷区生まれ。町田市育ち。 父親は市役所に勤務する公務員、母親は専業主婦。1歳年下と6歳年下の弟がいる男3人兄弟の長男として誕生しました。
父親は元人形劇団「太郎座」の座員、母方の祖父は劇作家・脚本家の阿木翁助さん。
町田市の公団住宅に住んでいました。
子供の頃からおしゃべりな目立ちたがりで、小学校の学芸会などでは常に手をい挙げて、目立つことをやりたがるタイプだったといいます。
児童会長、学級委員を務め、放送委員会にも入っていて、小学3年生の時には地域の青少年施設のお祭りで野外ステージで司会を担当。
小学4年生の時には、市民祭りで子供たちだけでで手作りの桃太郎神輿を作り、みんなで猿、犬、キジなどの格好でかつぎ、その活動がNHKの番組で取り上げられてスタジオで神輿を披露しまいた。
その時も自ら手を挙げて、アナウンサーのインタビューに答えたそうです。
笠井信輔の中学校
笠井信輔さんの出身中学校は 町田市立薬師中学校
中学時代はバスケットボール部に所属し、レギュラーとして活躍。
放送委員会にも入っていて、文化祭ではクラスの出し物だったクイズイベントで司会を務めました。
生徒会にも参加し、生徒会副会長、生徒会会長も務めたといいます。
笠井信輔の高校
笠井信輔oさんの出身高校は 狛江高校 (偏差値60)
東京都狛江市元和泉三丁目にある男女共学の東京都立高校。設置学科は普通科のみ。
出身者には俳優の綱島郷太郎さん、門脇麦さんなどがいます。
高校時代もバスケットボール部に所属していました。
文化祭では2年生の時には『クイズ100人に聞きました』、3年の時は、『ゲーム ホントにホント?』を完コピしてクイズイベントを行い、司会を担当。
このイベントは大ウケで、教室に人が入りきらないほどの人気だったといいます。
高校でも放送委員会に入り、昼休みの放送でDJを務めてそれが人気となり、金曜日に「BIG FRIDAY MUSIC」といいう自分のレギュラーを持つことになったそうです。
アナウンサーになりたいと思ったのこの時期で、先生との進路相談では、
『早稲田か慶応大学に行きたい。なぜならテレビ局に入る人が多いから。それで、アナウンサーになりたいです』
と宣言しました。
笠井信輔の大学
笠井信輔oさんの出身大学は 早稲田大学 商学部(偏差値68)
現役時代には受験し失敗し、浪人時代は全く遊ばず、予備校に通ういひたすら勉強して合格しました。
大学時代はスキークラブに入り、夏は筋トレ、冬にはスキー競技に参加。
放送研究会にも所属してアナウンス学校にも通いました。
3年生の時にはTBS『ぴったし カン・カン』のアルバイトに合格し、全国で開催される予選会の司会を担当。
アルバイトでの仕事が評価され、TBSの社員には「TBSのアナウンサー試験を受けるように」と言われ、笠井さんもその気でいましたが、その年には女性だけで男性アナウンサーの募集はなく、TBSに入る夢は絶たれたそうです。
就職活動では日本テレビ、テレビ朝日も受けて最終試験近くまで残りましたが不合格。
アナウンス学校の先生には、
『あなたは現場のウケはすごくいい。でも、幹部からの評判が極めて悪い。もっと真面目にやってください。ノリだけで楽しくおもしろくというのでは通りません』
と厳しく言われ、最後のフジテレビの試験では先生に言われた通りの方針で臨み、最終面接まで残りました。
そのタイミングでアナウンス学校のOBアナウンサーにアドバイスを受けられる機会があり、最終面接について相談すると、
『笠井くん、最終試験に自分を偽って落ちるのと、自分自身で攻めて落ちるのと、どっちが納得いく?』
と聞かれ、笠井さんは、
『自分を偽って落ちたら、もっと真面目にやれと言った先生を恨むと思います』
と答えると、
『そうだろう、最後くらい自分で勝負しなさい』
と言われ、また方針を転換し、最終面接ではノリよくやったところ、当時の社長に、
『君はおもしろいね』
と言われて、合格したといいます。
笠井信輔の経歴 フジテレビ入社後
1987年4月、フジテレビにアナウンサーとして入社。同期のアナウンサーには中井美穂さん、塩原恒夫さんがいました。
笠井さんは入社後、情報、報道番組一筋で入社2年目の1988年4月からは、午後の情報番組『タイム3』で須田哲夫さんなどと共に総合司会を担当。
後続番組の『タイムアングル』が終了する1994年9月まで6年半、出演しました。
1997年3月からは夕方の報道番組『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』メインキャスターを笹栗実根さん(報道局記者)と担当。
1998年3月からは前の情報番組『ナイスデイ』で女優の榊原るみさんと共に総合司会を務め、1999年から2019年9月までは『ナイスデイ』の後番組『情報プレゼンター とくダネ!』のサブ司会兼メインアシスタント・ニュースデスクを担当。
『私の場合はどちらかというと、会社に自分が必要とされないと分かったから辞めたっていうのが一番の理由なんです。』
2019年9月、56歳の時にフジテレビを退社しました。
がんを公表
笠井信輔さんはフリーアナウンサーに転身した2ヵ月後に、ステージ4の悪性リンパ腫であると診断され、2019年12月19日に2カ月前まで担当していた『とくダネ!』に出演して、自らがんを公表。
『約33年間ずっと情報番組やワイドショーを担当してきました。有名人、著名人のプライバシーを伝えることを生業としてきたんです。そこで自分が一大事になったときに、プライバシーのことなのでそっとしておいてほしい、というのは違うと思いました。』
番組では、病名が「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」であることや、公表に至った心情などについて語り、公表後にブログ、SNSを開設し病状や闘病と綴りました。
抗がん剤治療のために4か月半の入院。治療は順調に進み、2020年5月1日に退院し、その後は自宅療養をしながら、ラジオのゲスト出演するなど活動を再開。
2020年6月5日、主治医から悪性リンパ腫が完全寛解したと伝えられたことをブログで報告しました。
笠井信輔の結婚や妻、子供
笠井信輔さんは1990年6月、27歳の時に結婚。
妻は1歳年下で、テレビ東京社員だった茅原ますみさん。
茅原さんは日本女子大学文学部英文学科卒業後、19a87年にテレビ東京に報道局ニュース編集部記者として入社。 結婚、出産後の1995年3月にアナウンス室へ異動し、同局初のママアナウンサーとなり、ニュース番組を担当。
その後、報道局取材センター報道デスク、編成局ドラマ制作部、総務人事局(管理職)を経て、2021年9月30日に退社しました。
笠井さんと茅原さんの馴れ初めは大学時代で、3年生の時に通っていたアナウンサー養成学校「アナウンスアカデミー」で同じクラスになったことでした。
当初は何もありませんでしたが、日本テレビやテレビ朝日の最終試験が近づく頃に再会し、笠井さんが告白して交際がスタート。
就職活動中だったことから友達からは「リクルートナンパ」と言われたといいます。
子供は息子が3人誕生しました。
2024年1月には長男が30歳になったことを明かしています。
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